安本理論と日本神話
安本理論を用いることで日本神話の年代的補正が可能になり、魏志倭人伝中で説明される倭国大乱の記録を日本神話の中から抽出することが可能になる。卑弥呼以前の7〜8世代程(=約70〜80年。安本理論の補正係数は1世代10.34年)は内乱状態にあり、国がまとまらなかったと記録されている。
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
魏志倭人伝
乃共立一女子為王 名日卑彌呼 事鬼道能惑衆
年已長大 無夫壻 有男弟佐治國
その国、本はまた男子を以って王と為す。住みて七、八十年、倭国は乱れ、相攻伐して年を歴る。すなはち、一女子を共に立て王と為す。名は卑弥呼といふ。鬼道に事へ、よく衆を惑はす。年、すでに長大にして、夫婿なし。男弟有りて国を治むるを佐く。
卑弥呼を天照大御神と対応付けると、日本側の記録では、神代七代へ対応が付けられる。
- 国之常立神(くにのとこたちのかみ)(=天之御中主神)
- 豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
- 宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
- 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
- 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
- 淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
- 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
魏志倭人伝は卑弥呼の前(イザナギ)の代または卑弥呼の代の初期までは戦乱の時代であると説明する。神代七代は戦乱収まらない荒れた時代であったと想定してよい。
倭国大乱の記憶
日本神話からイザナギとイザナミの戦乱の記憶らしき記載を発見できる。有名な黄泉の国の章である。軍勢・追手・八人の雷神・坂・大岩等表現は多彩だが、おぼろげな戦乱の痕跡と考えられる。

入ってみたところ、蛆がたかりゴロゴロうごめいており、頭には大雷がおり、胸には火雷がおり、腹には黒雷がおり、陰部には裂雷がおり、左手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷がおり、右足には伏雷がおり、合わせて八柱の雷の神が現れていました。
そして、伊邪那岐の命はそれを見て恐れて逃げ帰りました。 その妹伊邪那美の命は言いました。
「私の恥ずかしいところを見ましたね。」
そして、予母都志許売(黄泉醜女=黄泉の国に住む霊力の強い女人)に命じて追わせました。伊邪那岐の命は、黒御鬘(蔦の冠)を投げ捨てたところ蒲子(山葡萄)が生えました。 黄泉醜女が、これを拾って食べている間に伊邪那岐の命は、逃げて行きました。しかしなお追ってきたので、再びその右の鬟(束ねた髪)に刺していた湯津津間櫛を引き抜き、投げ捨てたところ笋(筍)が生えました。そして、黄泉醜女がこれを抜いて食べている間に、伊邪那岐の命は逃げて行きました。
イザナギの黄泉の国への訪問と追手との戦い
さらに伊邪那美の命は、その後ろに八柱の雷の神と1500の黄泉の軍勢を添えて追わせました。 伊邪那岐の命は腰に帯びていた十拳剣を抜き、後ろ手に振り回しながら逃げました。 なお追い、黄泉比良坂の登り口に到ったとき、その登り口にあった桃3個を取り待ち構えて投げつけたところ、追手はことごとく逃げ去りました。

最後に妹である伊邪那美の命自身が追って来ました。 伊邪那岐の命は千引きの岩を引いて黄泉平坂を塞ぎました。
その岩を間にして向い立ち事戸を渡しました。(永遠のお別れを言い渡しました。)そして伊邪那美の命は言いました。
「愛しい私の兄よ、このような事をされた以上は、あなたの国の人草(人を葦草に例えた言葉)を一日に1000人絞め殺すしかありません。」
そこで伊邪那岐の命は告げました。「愛しい私の妹よ、そのようなことをするならば、一日に1500の産屋(お産のために使う部屋)を立てましょう。」
このようなことから、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれることになりました。
そして、伊邪那美の命を名づけ、黄泉津大神と呼び、またこのように追ってきた事により道敷大神と名付けました。
またその黃泉坂の岩が塞がれたので、道反大神と名付け、また塞坐黃泉戸大神ともいいます。イザナギのイザナミの永遠の別れと黄泉比良坂の千引きの大岩
その黄泉比良坂といわれる所は、今は出雲国の伊賦夜坂といいます。

こうしたことがあって、伊邪那伎大神は言いました。
「私は、あってはならぬ目にも不吉な不吉で穢れた国を訪れてしまった。この身体を禊しよう。」
そこで、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原において、禊ぎ祓いをしました。左目をすすいだときに、天照大御神が、右目をすすいだときに、月読命が、鼻をすすいだときに、素戔嗚尊(建速須佐之男命)が生まれた。
イザナギの禊と天照大御神の誕生

アマテラスとスサノオの戦い
イザナミとイザナギの時代の後にも戦いは終わらない。姉と弟がさらに戦いの寸前になる場面が描写されている。

神やらいに追い払われたスサノオ神は、 「それならば、アマテラス大神においとまを申し上げてから、根の堅州国に参ろう。」 と、高天原に昇ることにしました。
アマテラスとスサノオの戦い
スサノオ神が、天に昇ろうとする時、 山川はとどろき、大地は震えました。これを聞いたアマテラス大神は、とても驚いて 「わが弟が昇り来る理由は、きっと善い心ではあるまい。わたしの国を奪おうと思ってのことだろう。」と、すぐに髪をみずらに結い直し、 左右のみずらや左右の手に 勾玉のついた長い玉飾りを巻き付けて、 背中や胸にたくさん矢の入った筒を背負い、 弓が鳴るように振り立てて、 堅い地面を踏みならして、 雄々しく叫んだ。
荒々しく足を踏みならして、 スサノオ神を待ち受けていたアマテラス大神は 「何のために高天原に上ってきたのだ」と聞くと、 スサノオ神は 「私にやましい心はありません。 母の国に、おいとますることになったので、 昇ってきただけです。他心はありません。」 と申し上げました。 アマテラス大神は 「そうならば、おまえの心が清く明らかだと、 どのようにして知ればよいだろう。」 とおっしゃいました。
この戦いは寸前の所で停戦合意が成される。
スサノオ神は 「お互いに、誓約(うけい)をして、子ども生みましょう。」 と答えました。うけいとは言った言葉の可否で吉凶を占う、占いのことです。
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)
こうして、二神はそれぞれ、 天の安の河をはさんで誓約を行うことにしました。
まずアマテラス大神は、 スサノオ神の腰に下げている十拳剣を貰い受けると、 三段に折って、天の真名井で振りすすぐと、 噛みに噛んで、狭霧を吹き出し、神を生みました。
その狭霧に誕生した神は、 ダギリヒメ、イチキシマヒメ、タキツヒメの三女神。 今度は、スサノオ神が アマテラス大神の左右のみづら・頭・両手首に巻いていた 玉飾りを貰い受けて、天の真名井で振りすすぎ、 噛みに噛んで、狭霧を吹き出し、神を生みました。

まとめ - 神話は「倭国大乱」の記憶を内包している
本稿では、安本理論による年代補正を手がかりとして、日本神話と魏志倭人伝を重ね合わせることで、神話が単なる創作ではなく、倭国大乱という長期の内乱期の記憶を象徴的に保存している可能性を示した。神代七代を戦乱が収まらない時代として捉え、卑弥呼を天照大御神に対応させることで、魏志倭人伝に記された「七、八十年にわたる争乱」と日本神話の時間構造が自然に接続する。
イザナギとイザナミの黄泉の国の物語は、軍勢・追撃・武器・峠・巨石といった要素を伴い、抽象化された内戦や権力闘争の痕跡として読むことができる。また、その後に続くアマテラスとスサノオの対立は、内乱がなお完全には終息していない段階を示しつつ、最終的に誓約(うけい)という儀礼的合意によって停戦へと向かう過程を描いているようにも見える。

この流れの中で、イザナギの禊から天照大御神が誕生する場面は、長い混乱の後に秩序と統合を象徴する女王的存在が立ち上がる瞬間として位置づけることができ、卑弥呼の登場と重ねて理解することが可能となる。
つまり、日本神話は荒唐無稽な物語ではなく、激動の古代史を神話的言語へと圧縮・変換した記憶装置であり、安本理論はその暗号と邪馬台国の具体的な場所を読み解くための有効な鍵となる。
神話を否定するのでも、史実と断定するのでもなく、年代補正と比較史料とデータ分析によって「読む」こと。これが、邪馬台国問題や神武天皇伝承を含む日本古代史を、次の段階へ進めるために不可欠であると言える。