邪馬台国はどこか?- 安本理論の概略

安本理論の概略

邪馬台国論争と二十世紀後半の大きな転換点

日本の邪馬台国論争の歴史を振り返ると、二十世紀後半に決定的ともいえる前進があったことを、まず確認しておく必要がある。江戸時代から二十世紀前半までの邪馬台国論争は、残念ながら学問的厳密さに欠けるものが多く、地名の音の類似や想像に依拠した比定論が繰り返されてきた。そこには、確率論的裏付けや数量的検証という視点がほとんど存在していなかった。

さらに二十世紀半ば、日本は第二次世界大戦と敗戦という未曾有の混乱を経験する。その結果、戦前の皇国史観への反動として、日本の神話や正史そのものを排除しようとする修正主義的傾向が強まった。この流れの中で、『古事記』や『日本書紀』といった一級史料は、十分な検証を経ることなく疑問視され、邪馬台国探究の道はかえって遠のいてしまった。

しかし、歴史学の世界では、神話や叙事詩を史実解明の重要な手がかりとして用いた先例がある。シュリーマンがトロイアやミケーネを発掘し、エーゲ文明の存在を明らかにした際、最大の指針としたのは『イーリアス』に描かれたギリシャ神話であった。物語と地名を丹念に分析することで、彼は文明の実在に到達したのである。

神話と数学を接続した安本理論の意義

翻って日本を見ると、『古事記』『日本書紀』という豊富な神話と歴史資料が存在するにもかかわらず、神代の人物の中で誰が邪馬台国の女王 卑弥呼 に比定されるのかを、憶測ではなく数量的根拠によって示した研究は長らく存在しなかった。ここに、安本美典 氏の統計的年代推定法の画期性がある。

日本には百代を超える天皇家の系譜が連続して残されている。この事実は、世界的に見ても稀有であり、統計的推定を行ううえで非常に有利な条件となる。安本氏は、歴代天皇の在位年数と世代数を用いて、神話時代の年代を確率論的に再構成する方法を提示した。これにより、日本神話の闇に数学的な光が当てられ、卑弥呼の時代と邪馬台国の位置を指し示す「コンパス」が初めて与えられたのである。

歴代天皇(横軸)と西暦(縦軸)のプロット(「安本美典
著・倭王卑弥呼と天照大御神伝承」より)

天照大御神と卑弥呼の年代的一致

安本理論の第一段階は、既知の天皇在位年数と世代数から、天照大神 の即位年代を統計的に推定することである。その結果、天照大御神の活動期は西暦224.3年を中心とし、99パーセント信頼区間で前後約50年に収まることが示された。

天照大御神、神武天皇、神功皇后等の在位年と 95% と
99% 信頼区間(「安本美典著・倭王卑弥呼と天照大御神伝承」より

この年代は、『魏志倭人伝』に記された卑弥呼が西暦238年に魏へ朝貢したという史実と驚くほどよく一致する。さらに両者の共通点として、女性統治者であること、弟が政治を補佐していること、「日巫女」とも解釈できる太陽的性格を帯びていることなど、記述内容の類似性も極めて高い。これらを単なる偶然として退けることは、合理的とは言い難い。

日本書紀や古事記の年代が、そのまま史実としては使えないことも、この理論によって明確になる。とくに神武天皇以前の在位年数は不自然に引き延ばされており、考古学的年代と大きく乖離している。安本理論は、この歪みを数学的に補正することで、卑弥呼の時代を日本側史料の中に正しく位置づけることを可能にした。

神武天皇を一代とした場合の天皇の即位年推定(「安本美
典著・倭王卑弥呼と天照大御神伝承」より)

女王の都の場所を導く地名の連鎖

年代が定まった後、次に問題となるのが女王の都の場所である。安本理論では、神話の内容を全面的に史実とみなすのではなく、神武東征の大筋を「歴史的事実を反映した物語」と仮定する。この前提に立つことで、邪馬台国の位置比定は一気に現実味を帯びる。

神武天皇が九州から東へ移動したという物語が事実であるならば、権力中枢の移動に伴って地名が移植された可能性が高い。実際、北部九州と大和地方を比較すると、驚くほど体系的な地名の一致が見られる。山門と大和、怡土と伊勢、志摩と志摩、耳納と美濃、日田と飛騨など、単なる音の類似にとどまらず、地理的配置や環境条件まで重なっている点が重要である。

この一致は偶然ではなく、移動した権力者集団による命名の痕跡と考える方が自然である。こうした分析から、邪馬台国の中心地は北部九州、とりわけ現在の福岡県朝倉周辺に強く収斂していく。

神話と考古学が一致する地点へ

魏志倭人伝や考古学は、いわば外部から見た倭人の姿であり、神話は内部から見た世界観である。想像や恣意的解釈を排し、両者が一致する地点を探ることで、邪馬台国の姿は自然に浮かび上がる。安本理論の強さは、その主張が極めて単純でありながら、確率論と実証性に裏打ちされている点にある。

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日本書紀

この理論は、邪馬台国論争を終わらせるための結論ではなく、むしろ出発点である。神代と弥生時代、そして古墳時代前期を連続した歴史として捉え直すことで、日本誕生の物語は初めて現実の地平に立ち上がる。その意味で、安本理論は、日本版シュリーマン的探究への扉を開いた画期的な試みであるといえるだろう。

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