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九州の皆既日食と女王卑弥呼、そして天照大御神の関係
邪馬台国はどこにあったのか。この問いは、日本古代史における最大の謎の一つであり、長く「九州説」と「近畿説」が対立してきた。考古学、文献史学、地理学など多方面からの研究が進められてきたが、近年、天文現象、とりわけ皆既日食に注目することで、従来とは異なる視点からこの問題を再検討する動きある。


本稿では、九州で観測された皆既日食の記録と、女王卑弥呼、さらに日本神話における天照大御神との関係を手がかりに、邪馬台国九州説の可能性を考えてみたい。
皆既日食という「異常事態」
皆既日食は、太陽が完全に隠れ、昼間でありながら闇が訪れる極めて特異な自然現象である。古代において、これは単なる天文現象ではなく、王権や神意と深く結びついた出来事として受け止められていた。
中国では、日食は「天の警告」として王朝の正統性に直結する重要事項であり、詳細な記録が残されている。一方、日本神話においても「太陽が隠れる」出来事は極めて象徴的である。天照大御神が岩戸に隠れ、世界が闇に包まれる「天岩戸神話」は、その最たる例であろう。
九州で起きた皆既日食と年代の一致
天文学的計算によれば、西暦247年および248年頃、北部九州を通過する皆既日食が発生している。この時期は、まさに卑弥呼が没したとされる年代と重なる。
魏志倭人伝には、卑弥呼の死後、国が再び混乱したことが記されている。これは単なる政変ではなく、天変地異を伴う「異常な時代の記憶」が背景にあった可能性を示唆する。皆既日食という強烈な体験が、女王の死と結びついて記憶され、やがて神話的表現へと昇華されたと考えることは不自然ではない。
白鳥庫吉の問題提起から読み解く、九州の皆既日食・卑弥呼・天照大御神
邪馬台国論争は、長らく「場所」をめぐる議論として続いてきました。九州か、近畿か。遺跡か、文献か。距離か、方角か。
しかし、この問いに対して、早い段階から「そもそも問いの立て方が違うのではないか」と警鐘を鳴らした人物がいる。それが、明治の歴史学者 白鳥庫吉 である。

白鳥氏は、邪馬台国論争を単なる地理問題として扱うことに強い違和感を示した。なぜなら、日本神話・中国史書・考古資料は、それぞれ異なる「語り方」で同じ時代を記録している可能性があるからだ。
神話は史実を「歪めた」のではなく「包み込んだ」
白鳥庫吉は、日本神話を「虚構」と切り捨てる立場をとらなかった。彼が重視したのは、神話は、史実が民衆の記憶の中で再構成された結果ではないかという視点だった。古代社会では、王の死、政変、内乱、天変地異といった出来事を、現代のような年代記として正確に書き残すことは困難だった。
そこで人々は、それらを、神の怒り、天の異変、世界の闇、再生の物語として語り継いだのだ。この視点に立つと、日本神話は「歴史を隠したもの」ではなく、歴史を忘れないための装置だったと理解できる。
天照大御神が天岩戸に隠れ、世界が闇に包まれる。この神話は、日本神話の中でも特異な重みを持っている。
白鳥氏が注目したのは、この物語が、1. 単なる道徳神話ではないこと、2. 自然現象と極めて強く結びついていることだった。
昼が突然夜になる。太陽が消えたかのように見える。鳥が騒ぎ、人々が恐怖に包まれる。これは、古代人にとって最も恐ろしい現象皆既日食 にほかならない。天文・数学技術が発達していた古代ギリシャでは、これを逆手に取り皇帝の権威を最高に高めるための舞台装置として用いた(古代ギリシャオリンピックの日付とアンティキティラ島の機械)。
卑弥呼と天照大御神の重なり
卑弥呼は、鬼道を操り、人々を統合した巫女的女王であったと記される。その性格は、日本神話における天照大御神と驚くほど重なってくる。
天照大御神が岩戸に隠れる場面は、「太陽の不在」という異常事態を象徴する神話である。もし、卑弥呼の死と同時期に九州で皆既日食が起きていたとすれば、「女王の死=太陽の消失」という連想が成立し、それが神話化され永遠の最高権威者となった可能性は高い。
このように考えると、天岩戸神話は単なる創作ではなく、九州で起きた実際の天文現象と政治的事件を反映した歴史的記憶と見ることができる。
もし、卑弥呼の活動拠点が九州にあり、そこで皆既日食が観測されていたのであれば、邪馬台国九州説は単なる地理的仮説を超え、神話・天文・文献が交差する立体的な歴史像として再評価される。

近畿説では、これほど明確に皆既日食と年代・神話が重なる説明は難しい。天照大御神という日本神話の中核的存在が、九州の自然現象と結びついて形成されたとすれば、邪馬台国の原像もまた九州に求める方が自然であろう。
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
魏志倭人伝
「卑弥呼、以って死す。冢を大きく作る。径は百余歩なり。徇葬者は奴婢、百余人なり。」
「卑弥呼は死に、冢を大きく作った。直径は百余歩。徇葬者は奴婢、百余人である。」
更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人
復立卑彌呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與
「さらに男王を立てる。国中服さず。さらに相誅殺し、当時、千余人を殺す。また、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。国中遂に定まる。政等は檄を以って、壱与に告諭す。」
魏志倭人伝は天変地異の後に千余人が相誅殺し殺されたと。この事態は、想像力を豊かにすれば、
- 政治形態の変化
- クーデター
- 謀殺
など、突然の政治体制の変化を想起させる。日本神話では天照大御神の天の岩戸隠れの後、スサノオが追放されたとある。
神話は虚構ではなく「記憶」である

神話は史実ではない、という見方は長く支配的であった。しかし、神話を古代人の記憶の表現形式と捉えるならば、そこには現実の出来事が、象徴的・詩的な形で刻み込まれている。
皆既日食、女王の死、社会不安、そして新たな秩序への希求。これらが重なり合った結果として、天照大御神と天岩戸神話が生まれたと考えるならば、邪馬台国は単なる考古学上の地点ではなく、日本神話そのものの出発点として九州に存在していた可能性が浮かび上がってくる。
邪馬台国はどこか。その答えは、地上だけでなく、空を見上げた古代人の記憶の中にも刻まれているのかもしれない。