まず、大和川一路の出自、紀行に登場する方々のご紹介をします。
飛鳥川師匠。豊田市のある会社で出会い、古代史の扉を開いてくれた方。出会って五年間は「古代史語り」が始まると苦痛でしかありませんでしたが、平城遷都1300年にあたる2010年に一冊の本を頂いてから俄然面白くなり、飛鳥や韓半島に遠征して、二人で古代史の舞台を探索するほど影響を受けました。
師匠の退職後、今度は一緒に働く仲間に私が古代史ハラスメントをしていたかも。頂戴した古代史ペンネーム「大和川一路」は、飛鳥川がさらに大河、大和川となって真実一路一直線に古代史と向き合う感じで気に入っています。時には「日本一の汚い川」とか「邪馬台国近畿説の一派か」と、あらぬ誤解を受けることもあります。
田主丸の先輩。コロナが蔓延し始めた時に福岡に移住。どこもかしこもお店が閉まっており友達が出来ませんでした。そんな状況下で「大和四寺巡礼」のツアーで出会った人生の先輩。満州から引き揚げる時に半島のどこかで生まれ、母に抱かれて釜山から耳納連山のもとに帰着。敗戦から復興、繁栄と日本の戦後を生き抜いてきた。まもなく傘寿となりますが、会ってみれば好奇心と向上心に吸い寄せられる。「おいどんはね」なんてしゃべり出すと、「九州に来て良かったなぁ」と感じてしまいます。私よりもちょいワルが似合っている。中洲のジャズも照和のフォークもみんな教えてもらいました。
歴史講座の先生。「邪馬台国北部九州説」の一説にとどまらない、真の歴史を構築してゆく姿勢と勤勉さに頭が下がります。歴史旅も主宰されており、二年前の天草の旅で「なにか文章を書いてみない?」とささやかれた。「エエッ?」
「飲みに行かない?」なら一万回は云われたが、こんなことは人生で初めて。
講座の先生は将棋名人でもあり、あの時が布石1、あの時は布石2と一年後に分かった。残された人生は九州を楽しむこと、文章なんか書ける訳がない。
お断りする拙文を提出したら、「ちょいワルオヤジの古代史エッセー」とネーミングされ、さらに(新連載)とあやかしの一手、投了まではアッという間でした。
この戦略と戦術を早くに教わっていれば、会社でも役に立ったのに、出会いのタイミングがずれていた。いや、この時だから良かったのかも。
自称「内気、人見知り、真実一路」の人間が、「ちょいワルオヤジ」と人格改造までされて現在に至るということです。
AKB風に言えば、今は推しの会員、№16の立ち位置でしょうか。
これが大和川一路の出自と漫遊記に登場するお三方の紹介です。
自分が持たない知識や興味や趣味を持つ人に乗っかってみると、残された人生やモノトーンで少し寂しい日常が、「幾つになってもあと10年」との感覚にさせられます。
さて、福岡の各地から参集して、東京見物おのぼりさんに行ってきました。歴史講座の先生に「この次の講座はお休みします。目を肥やしてきますから」と伝えて。
「東京へはもう何度も行きましたね~美し都」「東京へはもう何度も行きましたね~」
「そこしか知らないの?ほかの歌詞は?」「誰の歌だったかなぁ」「マイ・ペースだよ」
「そんなグループいたかなぁ」「あなたその頃、青春左翼でしょ、知らないの?」
「東京駅を設計した人はね、あれ、あの、隈研吾じゃなくて、エエっと、辰野金吾だ」「紛らわしわね」「ソウル駅と似てるよね」
「そうそう。武雄温泉にも辰野金吾の、何だったけ、エエっと、あのあの門、あの門よ」
「楼門でしょう。そこの四つの干支と東京駅の八つで十二支が揃うの」
「あのさ、みんな間違うけど東京駅もソウル駅も塚本靖。辰野金吾の弟子よ」
三、四人で旅をすれば、誰か一人は専門性を持つ人がいて話しは収斂していきます。
行きたい所をリクエストして、全体像を構築したのは田主丸の先輩である。皇居三の丸尚蔵館・国立博物館・東京湾ディナークルーズがメインで、スカイツリーや浅草寺、渋谷スカイ、明治神宮、銀座ケントスまで動線を整えてしまう企画能力は素晴らしい。
綺麗なものを見たかった。三の丸尚蔵館には伊藤若冲の孔雀や魚が左に泳いでいく絵があった。親タコの足の先に子ダコがへばりついている。狩野永徳の唐獅子もあった。高島屋が織った閑庭鳴鶴は光の当たり具合で白い刺繍が輝いて、横から下から眺めてみた。
「博物館や美術館って、もう少し明るくしてくれないかなぁ」
「第四期だから、これで終わり。前の三回も見たかったね。東京にいたら全部見たのに。東京って本当に花の都よ」
皇室の宝物に度肝を抜かれて、「おいどんの冥土の土産になった」って。
隅田八幡宮人物画像鏡を見たかった。国立博物館にある。受付嬢が考古館にあると探してくれた。土器の展示室を抜けて、次の部屋の正面の壁に十数枚の三角縁神獣鏡が誇らしげに掛けてある。「見つかった?」「二周したけど分からない」
「死角にあった。この扱いはなんだろう?」
大きい鏡は高崎市の蟹沢古墳出土の三角縁同向式神獣鏡。右横の人物画像鏡は撮影禁止。
シャッター押す時に手がブレて縁が入ってしまったから、青で消しました。むかし、エメラルド寺院で仏様の写真を撮ったら警備の人に笛をピーピーと鳴らされて、携帯を取り上げられた。規則は守らねば。
ケースの隅にちょこんと国宝の鏡、この無礼な扱いは何でしょう。説明文はたったの五行で、癸未年は443年か503年か、男弟王は誰なのかと諸説のことだけ。不都合な真実でもあるのだろうか。期待値から大きく外れて、憤りと情けなさを抱えて東京湾クルーズへ。
「東京へはもう何度も~」と道すがら、また先輩は口ずさみ、私もつられて。
「先輩、東京はこれが最後かもしれませんので、金に糸目をつけずに遊びましょう!」
「おう、エンペラールームでイタリアンを予約しておいたぞ」
「むかし、シンガポールのラッフルズに業界の旅行で行った時にですね、長老がこのホテルで一番安いワインを持ってきてくれとオーダーしたんですよ。なんか恰好良かった」
「そうじゃ。あなたと一緒にいると、わしゃ美味いもん食べられて嬉しいよ。もんじゃ焼も初めて食べたし、月島もんじゃって云うのかい。天龍で食べた酢豚とエビチリと青椒肉絲の三点セットも。酢豚にパイナップル入ってたもんな。東京っていいなぁ」
「ここでもオーバーザレインボー歌ってますよ。漢江クルーズへも行きましたね~、聴きましたねぇ」
「昨日の銀座ケントス。ドラムの音、めっちゃ上手かったろ。音がパッ、パッと切れていたろ。バ~ンじゃなかろうが。東京は一流だね」
帰る日は、表参道を散歩しながら明治神宮に、渋谷スカイにおのぼりさん。さあ出発。
間際、8時46分の電話に不穏な気配。
「まだいる?目肥えた?旅行記みたいなもの書いてみようか。ちょいワルオヤジ諸国漫遊でどう?ふくおかアジア文化塾のサイトに載せてみようか」
絶妙なタイミングでレールまで敷かれて、将棋名人には敵わない。渋谷スカイのてっぺんが怖くないのはもう構想を練っていたからで、ほか事を考えると高所恐怖症も克服できる。それとも人格改造されて素直な人間になったのだろか。
でもその日横やりが入って、皇居の松の美しさ、ケントスで聞いたダンシングクイーンの懐かしさ、東京夜景の繁栄の輝き、そんな花の都での残像が消えてゆく。
反対に「日本人に生まれてよかったなぁ」の想いは強くなる。
『北朝鮮は15トンのゴミと鶏糞を乗せた3500個の風船を韓国側に飛ばした。韓国が体制批判のビラの散布を続ければ、100倍の紙くずと汚物の散布を行うと警告している』
なんともおぞましきことを。ゴミと鶏糞の風船じゃない。鶏糞じゃなくて人糞と思うのだが、とことん嫌な気持ちにさせるのは人糞である。
そう推論したが、人糞では食料事情が分かってしまうからとコラムに書いてあった。
冗談のような報復合戦、拡声器の大音量での体制批判が一番ダメージが大きいらしい。
大音量で聞いてみたいのは、歴史学界の事情である。隅田八幡の人物画像鏡の事情が分かってしまうと不都合でもあるのだろうか?
あれこれ色々あろうが、すべて旅の出来事。越後屋もいてこそ諸国漫遊が面白い。
「初めて崎陽軒の焼売食べた、美味しいねぇ」
「先輩、よう腹が減りますねぇ。ビール片手に、旅慣れてきましたねぇ」
「そういえば、浅草寺で外人と喋ってたね」
「ポールだって。イングランドから一人で来たそうです。カタコト英語を喋ると、返ってきた英語が聞き取れなくて酷い目にあいますから、日本語で喋ればいいのですよ」
「おいどんはザルツブルグに行きたいなぁ」
「トラップ大佐みたいに、ギターであれ歌うのが夢なんでしょ」
「ヨーロッパは高いし、次は練習でマカオはどうですか。ポルトガル風味がありますよ」
「あんたの魂胆は分かっちょる」「人聞きの悪いことを!」
「でも先輩。年金の日にパチ屋さんは年寄りで満員ですよ。どっちがいいんですか?」
「その昔、飛鳥川師匠とマカオの陸軍倶楽部で鰯を食べ損ねましてね。高級魚なんです」
「サンマも痩せたし、サバはノルウエー産が一番美味いよ。北方領土は大事じゃよ」
飛行機が遅れてこれ幸いに、みんなで楽しいことばかり話をしていた。