「季刊ふくおかアジア」第5号

 歴史研究家、河村哲夫先生が、令和7年8月25日、永眠されました。(享年77歳)
歴史を愛し、古代史とともに研究を重ねた人生でした。
 著作は、多岐にわたり、特に地元柳川にまつわる作品や、西日本古代通史本は、他に類をみない高い評価がなされております。
豊富な知識に裏付けされた河村先生の歴史講座は、受講者を虜にし、どの講座も大人気で、河村ファンで溢れておりました。
竹を割ったような性格の河村先生は、「嘘」「胡麻化し」「不正」が大嫌いでした。
常に「歴史の正義」を語り、歴史への道しるべを示し続けられました。
その筋の通った生き方は、歴史を愛する多くの人に感銘を与え、決して消える事はありません。
兼ねてから、「逝くときはあっという間に逝くからあとは宜しく!」と明言されておりました。
今ごろは、天国で卑弥呼と邪馬台国談義でもされている事と思います。
河村哲夫先生は召されてしまいましたが、先生が残された熱い歴史の心は、皆さまの心に生き続けることと思います。
どうぞ、皆さまの心に生き続ける河村哲夫と共に、これからもお健やかにお過ごしください。
これまでの皆さまからのご温情に感謝申し上げます。

古代史コラム 「マツコのひとり言」 第5回

もののけ姫から学ぶ考古学①「蝦夷」
うちの息子は、中国の大学で日本語を教えていた東北出身の女性と上海で知り合い、結婚した。嫁は歴史にも詳しく、歴史好きな私は息子夫婦が帰省する度、嫁を独占し歴史話を聞いた。
いつか、嫁が東北蝦夷について教えてくれた。「歴史上では、蝦夷が朝廷に歯向かったとされていますが、蝦夷は古来より東北を中心に存在していた民族です。だから、坂上田村麻呂も蝦夷族長のアテルイを尊重したのです」との事。興味深い話だったので、私も検索してみた。8世紀末、桓武天皇率いる朝廷は蝦夷討伐をするも、アテルイ族長によって猛反撃され、朝廷軍は後退せざるを得なくなる。しかし、猛将坂上田村麻呂は朝廷軍を立て直し、蝦夷討伐に勝利する。そこには、アテルイと田村麻呂の友情が成立し、それゆえの交渉が成立した結果とのこと。田村麻呂は、桓武天皇にアテルイの助命を願い出るが却下され、アテルイは敢え無く処刑される。意気消沈した田村麻呂は、京都に清水寺を創建し、友人アテルイの冥福を祈ったとの事。ほほぅ、そうだったのか。京都清水寺には何度も訪問したが、そんな逸話が背景にあったとは、全く知らなかった。大沢たかお扮するアテルイと高島正伸演じる田村麻呂の長編ドラマも検索し、ドラマを見ながらその熱き友情に涙した。
そんな中、地元の新聞に、福岡県那珂川市の古代墳墓が、遠く離れた東北の蝦夷に繋がる可能性がある、との記事が掲載された。ええぇ?福岡と東北蝦夷がどう繋がるのだろう、と私の興味は一気に高まった。記事には大野城市ふるさと館で開催される「もののけ姫から学ぶ考古学」に詳細があるとの事だったので、私は早速、ここに出かける事にした。(691)

もののけ姫から学ぶ考古学②「東と北の間より」
 映画「もののけ姫」の主人公アシタカは、「どこから来たのか?」と問われて「東と北の間から来た」と答えている。これは東北蝦夷出身である事を示唆している。映画「もののけ姫」の設定を引くと、時代背景は室町時代とされ、田村麻呂の蝦夷征伐から500年後という設定である。しかも、アシタカは蝦夷の勇者アテルイの血をひく末裔とされていた。
 物語の冒頭は、村を襲った「たたり神」の化け物をアシタカが退治した際、右腕に死の呪いを受けてしまうシーンから始まる。アシタカはその呪いを解く旅に出る、というストーリーである。
映画はその後、ヒロインのサンや、山犬、エボシなどが登場し、見ている者をぐいぐい惹きつけていくが、宮崎駿監督は、絵コンテの中に古代遺跡のパーツをあちらこちらにちりばめていると言う。それをこの映画の中からひとつずつ拾い出し、提示していこう、という企画が「もののけ姫から学ぶ考古学」だった。
アシタカが住む村は青森県山内丸山遺跡がモデルとされる。長老が持つ盾は、九州南部の「隼人」たちが使用するモノとされ、その幅広い地域設定に興味がそそられる。アシタカが持つ刀は、蝦夷に愛用された蕨手刀(わらびてとう)とされ、持ち手の先端が蕨のような形になっている所からつけられたらしいのだが、アニメでは持ち手の先端は輪っか状の素環刀(そかんとう)に変更されていた。「どうして変更されたのか?」という問いに対し、宮崎監督の答えは「アニメーションで書く時、面倒だったからですよ」というお茶目な回答が掲載されていた。
 アシタカが持つ刀の絵コンテの下には、群馬県白山古墳から出土した「蕨手刀」と広島地賛堂山古墳から出土した「素環頭大太刀」が並べて陳列されていた。(710)

もののけ姫から学ぶ考古学③「黒色土器、赤漆塗り椀」
映画には高下駄姿で、隠密の役も担う中年男、ジコ坊という人物が登場する。出会いは、アシタカが賊に絡まれたジゴ坊を助ける所から始まるのだが、このジコ坊が、御礼にとアシタカに粥を振る舞うシーンがある。アシタカが蝦夷の赤漆塗り椀を出すと「ホウ、みやびな茶碗だな」とジコ坊が感心する絵コンテが展示されていた。なるほど、これが見せたかったわけか!と私は多いに、感心した。
まさに、これが、新聞に取り上げられた蝦夷の黒色土器、赤漆塗り椀だ。大野城市東部の「薬師の森遺跡」で内側をいぶして黒くした黒色土器が出土し、その黒色土器は、ろくろを使わない東北土器(蝦夷の土器)に限りなく似ている事が分かったのだ。この黒色土器によって、東北蝦夷と福岡の接点が見い出された。
アシタカの椀は黒色土器に赤漆を塗ったものと考えられる。日本における漆の利用は縄文時代に始まり、様々な器やかんざし、弓を彩ったほか、接着剤としても使われたと言う。漆塗りの技術は縄文時代に最盛期の一つを迎えたと言われている。
蝦夷は、アテルイのように最後まで戦った部族だけではなく、「俘囚」として律令国家に帰順した部族も居た。その「俘囚」が東北から日本各地に強制移住させられ、遠くは福岡那珂川市や大野城市に居住していた可能性があるのだ。展示では、大野城市薬師の森古墳から出土した黒色土器と青森県むつ市から出た漆塗椀が展示されていいた。
 東北の蝦夷が使った土器が、福岡の遺跡から出たので見に来てください、では集客は出来ないが、ジブリ映画「もののけ姫」に出てくるアシタカが使う茶碗が福岡から出てきた、というと、興味がそそられる。大野城ふるさと館の演出に「あっぱれ」と言いたい気分だった。(709)

もののけ姫から学ぶ考古学④「サンの装飾」
 映画では、山犬に育てられた「サン」というヒロインを中心に話が進む。アシタカが滞在した村で出会うこの少女は重要な役どころ。サンの紹介コーナーでは、サンが身に着ける装飾品が展示されていた。
まず、サンがかぶる土面は、縄文時代のモノで、祭祀や祈りの道具として使われていたと考えられる。目と口の部分に穴をあけ、まゆと鼻には、粘土を貼り付け、にこやかな表情の中にも悲しみとも言える表現があるのが特徴で、中には、遮光性土偶に似た大きな目が特徴的な土面も発見されている。
サンの耳飾りは新潟県糸魚川のヒスイ製で、縄文時代の玦状耳飾りという設定で、ネックレスは獣の骨や牙を加工したものとされる。でた!糸魚川のヒスイ。古代史の授業でもたびたび河村師匠の熱弁が登場する糸魚川のヒスイ。師匠曰く、この新潟県糸魚川産のヒスイは世界でも最高品質だとのこと。そして、この糸魚川のヒスイは、縄文時代(約7000年前)にはすでに利用が始まっていたとされており、その後の古代人がここを見逃す筈はない、との河村談。「福岡の古代人は糸魚川までヒスイを取りに行き、朝鮮半島まで鉄を取りに行き、沖縄諸島まで貝を取りに行った。全て、900㎞以上の海路を難なく行き来する優秀な海洋民族が日本人なのです」という河村師匠の熱のこもった言葉が鮮やかに蘇る。
なるほど、ここの展示ではヒロイン、サンの耳飾りから、糸魚川のヒスイをクローズアップしたかったのか、と想像した。古墳時代には、その多くが勾玉に加工されたヒスイだが、この時代では十分に女性の装飾品として使用されている事が伺える。
展示では、大阪仏かみ遺跡から出土した縄文時代の土面と青森県下北郡東おう村出土の玦状耳飾りや大珠が並べられていた。(713)

もののけ姫から学ぶ考古学⑤ 「中世の文化」
 映画「もののけ姫」の舞台は、室町時代である。室町時代は、足利幕府が開かれ、武士だけでなく、商人や農民も旺盛に活動し、文化芸術の面においても大きな発展を見せた時期でもある。
 大野城市域は、福岡平野の奥に当たり、東に四王寺山、南に牛頸山を有し、間に挟まれた平野には南北に街道が行き交っている。
 映画の中で、アシタカがコメ屋の露天商人から金の粒で米を買おうとするシーンがある。コメ屋の女性商人は、「米が欲しいなら、おアシを持ってきな」とアシタカに詰め寄る。おアシとは、銅銭を意味し、足があっても逃げていくように無くなることから、こう言われたそうだ。中世日本では中国から大量に銅銭が輸入され、ここ大野城市でも遺跡から大量の銅銭が発見された事から、地域でも貨幣経済が活発になっていたことが想像できる。中でも、大野城市蔵で出土した、紐で束ねられた銅銭は、室町時代頃に何らかの理由で地中に埋められた「備蓄銭」の一部と考えられおり、多少の余裕さえ感じられる。
露天商が登場する絵コンテには、計量道具の枡や曲げ物の容器がさりげなく描かれている。曲げ物とは、薄い木の板を円形に曲げ、山桜の皮などで閉じて作られる木製容器の事で、弥生時代には存在したと考えられている。
 なお、曲げ物には、必ず一か所のみ合わせ目があり、「もののけ姫」での絵コンテでは60回のシーンで、曲げ物が登場するが、その殆どに合わせ目が分かるよう表現されおり、宮崎駿監督のモノの表現に対する深いこだわりが感じられる。
 展示では、大野城市、御笠の森遺跡から出土した、平安時代の曲げわっぱの弁当箱が展示されていた。あちこちに穴が空いている状態だったが、合わせ目はちゃんと分かるように残っていた。(712)

もののけ姫から学ぶ考古学⑥ 「イノシシとシカ」
 映画「もののけ姫」では、巨大なイノシシの乙事主やシカとカモシカを合わせたようなシシ神が出てくる。イノシシやシカと人間の関係は、古くは旧石器時代にまで遡る。旧石器時代から縄文時代にかけて、人間は狩猟や採取を中心に生活していたと考えられているからだ。縄文時代の土器には、イノシシ型のモノが多く見つかっており、弥生時代から作られた銅鐸には、シカがストーリー性を持って描かれている。
 しかし、古墳時代になると、狩猟のイノシシやシカから、農耕のウシやウマに代わっていく。その後、肉食禁止の仏教が伝来し、天武天皇が肉食を禁じる詔を発した記録が日本書記に残っている。内容としては「牛、馬、犬、猿、鶏」が規制されており、そこにイノシシとシカは入っていない。人間にとって、イノシシとシカは特別な意味を持っており、古くから豊穣祈願などに結び付けられていたからだ。
 映画では、乙事主もシシ神も、人間に対峙する存在で、重要な役どころとして登場している。自然を破壊する人間たちにイノシシは群れとなって対抗する。人間は、火と爆薬をもってイノシシたちを焼き払おうとする。「なぜ、負けると分かっているのに突っ込むの?」というサンの問いに、山犬のモロは答える。「それがイノシシの性(さが)だからさ。死ぬと分かっていてもまっすぐに突き進むしかイノシシには道がないのさ」と。「猪突猛進」という諺がある。宮崎駿監督は、この諺に繋がるイノシシの生き方を映画の中で表したのかな、とも思った。
乙事主は、あれほど、なりたくない、と言っていた「たたり神」にも変化しそうになる。イノシシ界の最高指導者、乙事主でも「たたり」という憎しみが生まれてしまい、アシタカという清廉潔白な人間でさえ「たたり」に翻弄されてしまう。そんな理不尽な世の中をリアルに表現したのが、この映画「もののけ姫」なのだと思う。(770)

もののけ姫から学ぶ考古学⑦ 「タタラ場の鉄」
映画では、サンが敵対するエボシという女性統領が出てくる。エボシは、川をさらって得た砂鉄を固める工房、タタラ場をつくりあげ、民の暮らしが良くなるためには、神殺しも厭わないという人物。タタラ場では、数日間、不眠不休で火を燃やし続ける事によって鉄を作る事が出来た。1回の作業で、12~13トンの木炭・砂鉄を燃やし、3~4トンの鉄が造れたと言う。現在でも、島根県出雲地方に「タタラ製鉄場」は残る。
エボシは、悪人として設定されている訳ではなく、病気を患った老人や、身よりのない女たちの面倒をみている事から、砦の中では絶大な人気を誇る。しかし、自分に背くモノには容赦がなく、鉄砲を使うことも辞さない。映画では、エボシが放った鉄つぶてが、猪をたたり神に変えてしまう。アシタカは、そのたたり神から呪いを受けたのである。
展示にはこういう文言があった。「人類は鉄を手に入れることで、より速くより多くの木を切ることができるようになり、生産力を拡大することに成功しました。その反面、環境を破壊することにも繋がったのでした」と。
タタラ場を「文明」、シシ神の森を「自然」と言い換えると、その衝突が見えてくる。前に見た、アテルイと田村麻呂のドラマにも鉄の話は出てくる。朝廷軍と戦う為、アテルイたちは鉄矢じりの製作を始める。しかし、鉄を作る為には、山の木々を沢山伐採せねばならず、山肌が露出する度アテルイは頭を抱える。自然を愛し、自然を守る事が蝦夷の使命だったからだ。宮崎監督の言わんとする趣旨も、ここにあるのではないかと思う。ここで象徴される「鉄」が現在の「文明機器」を表すとすれば、今も昔も問題は変わらない。アシタカが放つ「共に共存する道はないのか?」という問いかけは宮崎監督からの問いかけかもしれない。(736)

もののけ姫から学ぶ考古学⑧ 「宮崎駿監督の答え」
アシタカは、神々が宿る森で、シシ神と出会う。シシ神とは、生きとし生けるモノの生と死を司る神で、鹿のような姿に人のような顔をした人頭獣身だ。シシ神が歩くと、生気が奪い取られるシーンもある。このシシ神は、夜のなると半透明の巨人、ディダラボッチに変身する。このディダラボッチは、日本各地に残る伝説の巨人がイメージされているらしい。巨人が動くと山や湖沼が作られるという言い伝えである。そして、この半透明の巨人ディダラボッチの身体には、渦巻文と呼ばれる幾何学文様がいくつも浮かび上がってくる。この文様は、アイヌにも伝わる、神羅万象のあらゆるものに宿った魂が聖なる象徴として表わされている文様で、この渦巻き文様は、九州の装飾古墳にも多くみられる。自然が作り出す渦巻きには生命のイメージがあり、時と空間を超えて共有されるシンボル、と展示には記されていた。
夜のディダラボッチは、森を徘徊して命を再生し、日の出前にシシ神の姿に戻るのである。これは、まさに命の象徴を具現化した存在をイメージさせる。映画の終盤では、ディダラボッチが朝日を浴びて散り散りに消滅するが、それは新たな緑の芽吹きでもあり、その後は破壊された森への再生に繋がっていく。
物語のラストシーンに、一体のコダマ(樹木に宿る精霊)が森の中にたたずむ。ちなみに、このコダマのモデルは、岩手県高梨羽石から出土した「遮光器土偶」がモデルとの事。渦巻き文様が描かれたずんぐりむっくりした宇宙人のような顔をした土偶だ。宮崎監督は、この土偶からコダマをイメージし、このコダマが、後の「トトロ」に変化したというコメントが残されていた。
映画の最後のメッセージは、「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから」。このメッセージこそが、宮崎駿監督の答えかも知れない。
とても、見ごたえのある、「もののけ姫から学ぶ考古学」展だった。(774)

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