「私たち古墳乙女よ」
歴史旅や古代史講座で出会う女性たちがそう云った。
この日帰りバスハイクは次から次へと巡るようなせわしさがなく、博物館も気ままに見られて、彼女たちに従って参加してみたら昨日とは違う日になった。
歴女と思っていたが、古墳乙女ときた。興味はそちらにあったのか。
福岡県の宇美町から糟屋郡を抜けて古賀市、新宮町の古墳を見て回る旅である。
同級生でも同じ職場でもご近所様でもない、趣味と相性が一致したのだろう。
乙女と云うところが、なんとも彼女たちに青春がまだ息づいているようで、語彙のチョイスにおきゃんな少女を感じてしまう。
「若さが貴いことではありません。時間の経過で消えてしまうことに価値があるとは思えません」誰の言葉か、乙女たちにこれを伝える必要はないでしょう。
宇美町の光正寺古墳のてっぺんに登ると、向こうには志免町の七夕池古墳が見えている。「古墳を見ると入りたくなる」と乙女たちは云うが、さすがに自分はそこまでじゃない。今、入ってみたいのは天皇陵といわれる古墳ぐらいである。
でも手つかずの古墳には、爬虫類や両生類が首筋に落ちてこないか、靴の中に入ってこないかと恐ろし感が付きまとう。毛虫、芋虫、蜘蛛、蛇、蛭、蛆、蜈蚣と数えてゆけばキリがなく、何しろ虫の付く生き物には幼少の頃から恐怖体験しかないのです。
こんな感覚に支配され、さらに大人になっても増幅されていく。かの時、広州で働く仲間に会いに行った時、「食は広州にあり」
「四つ足は机、飛ぶものは飛行機、それ以外のもの はなんでも食べる」
それが見たくて市場に出かけ、ハクビシンとか見たこともない深海魚とかはまだいいが、ニョロニョロ動く生き物が料理され、皿に盛られて売られていた。上はひも虫。下は吸血虫。
今も焼き付いている広州の巨大市場。
広東と四川、上海、北京が四大中華料理と聞いてはいるが、中国で食べ物に満足したことはない。
「ちょっとぉ、こんな写真、露悪的じゃないの?」
自然と文明よりも、私の旅は歴史と文化。食文化は市場で見なければなりません。
そういえば、歴史の旅で「鰻が食べられない」と、懐石料理をひとり食べていた娘さんがいたが、きっとニョロニョロが怖いのだろう。私とて会食でメロンは遠慮し不思議に思われていた。
「光正寺古墳はお寺とどんな関係があるのですか?」
「いい質問ですね~」と古墳乙女は褒められて、嬉しそうにはにかんで。降りるのが怖いので、登るのに躊躇する。
光正寺古墳には棺が五つ。七夕池古墳には一つ。
不弥国の王様やお姫様が眠っているかもしれないが、もう誰か分からない。ゴルフ練習場のネットの方が七夕池古墳。
雲の下の緑のトンガリはボタ山と聞いて、いくら何でもあんなに大きなボタ山が?
宇美町一帯に炭鉱があったとは知らなかった。閉山して坑道を埋めるために、バンバン削って埋めたそう。
三井三池炭鉱は筑豊にあると思っていたし、糟屋とか篠栗と云われると京都丹波篠山を連想して、どうしてそんな田舎にコストコがと思ってしまうほどこの地を知らない。
宇美八幡宮は宇美町1丁目1番地1号。四回もくれば、クスノキの大きさに驚かないが、2000年以上の樹齢だそうで、木の周りはクスノキの化石で囲ってある。
この旅は考古学の旅だから神功皇后などの歴史の話は少なくて、植物や鉱物の話しに津々と興味が増してゆく。
「原産は中国なのですよ。中国にはクスノキの漢字が三つあります。だから三種。楠と樟と」、もう一つは聞き逃した。
大きな穴の開いたクスノキをスパーンと切って棺にしたそうである。
「へ~、竹割ひつぎって云うのか」
「違うわよ!割竹型木棺って云うのよ」
なんか私と違う領域で、恐るべし。彼女はメモ帳片手に一日中、説明してくださる方のソバにいた。
「メモ帳見せてください」「いやよ」
「帰ってからまとめるの?」「まとめないわよ」「‥‥‥」
下手だった。もう一つの漢字を聞きたかっただけなのに。
もう昼には軽い熱中症の症状が出ていたのかもしれない。肉入りゴボ天うどんの汁を飲み干した。底の七味も飲み干した。カルピスウォーターも飲み干した。
古墳乙女って何か足りないような気がするが、戦国乙女がゴロが良いのは七文字だからで、「古墳慕乙女」にしたらどうかと云ってあげよう。
そんなバカなことも考えていたら、「水持ってこなくちゃダメよ!」と叱られた。
高齢者限定のような小旅行でマスクの人は多いし、膝関節、首ヘルニア、股関節、飛蚊症、白内障、不眠、腰痛、糖尿、痔、歯が抜け落ちて、と誰もが何かを抱えている。
男子は病気自慢のような会話をしてから、数値の比較検討をして結末を迎えるが、女子はお喋りしながらいたわり合って、それでゴビ砂漠の向こうまで話が飛んで行く。
「あの子、よーく知ってるわよね。この前も享保だか天保だか、」
「田沼意次のことでしょ。知恵泉みたいな子だよね。江戸時代も相当詳しいわよ」
「宗春の時、名古屋はどうだった?」「‥‥‥」
「二十歳の頃、何してたの?」「‥‥‥」
「『ヨーロッパに幽霊が出る』って突っ込み入れたでしょ。ただ者じゃないわよ」
「きっと委員長と大恋愛してたのよ、まだ上書きしてないんだよ」
「テフロン加工のフライパンを、金属たわしで擦るなんてどういうつもり!」「‥‥‥」
「そんなにゴシゴシ磨いちゃ神経過敏になりますよ。虫歯じゃありません」と診断された乙女は「こっちの歯も痛い」と云って、首をかしげる。
あれ?ゴシゴシ研きで鉄のフライパンになるのと同じ理屈なんだけど。
時空概念、超絶妄想、脈絡断絶なんかお構いなし。ゴビ砂漠の向こうで聞いていた。
船原古墳って何だったっけ、思い出せない。古賀市立歴史資料館の玉虫馬具を見て、よみがえった。むかし新羅の王様に倭国の王様が玉虫の翅をあげたのだ。
でも説明の方は「どこの玉虫か分からない」
土坑から馬具が出たそうで「さあ、どうやってここに埋めたと思いますか?」と私たちに問うていたが、そういう事に興味はない。たぶん空中ブランコ作戦で遺物を取り出したから、その経験が投影されているのかもしれない。
古賀市唯一の前方後円墳ならば、時代背景とクニの王の話が聞きたかった。落胆して撮った写真は何の写真か分からない。
北部九州の小さなクニグニを巡った旅で得られたことは、女子の話はゴビ砂漠の向こうで聞いていてはいけないと云う事。
神社の入り口の大きな木。見ただけで「この木はオガタマよ」確かに招魂と看板がある。「モクレンの花は北を向く」を教えてくれた乙女である。招魂をオガタマと読むのか。
その実の形が神社の鈴で、一円玉に描いてある植物はオガタマだったのか。
メモ帳なんか見せてもらわなくても、乙女の話しにありがたき幸せを感じてしまいます。
歴史好きのオジサンは鳥居をくぐったら由緒をひたすら読むが、彼女は木を見て森を見る。どんな景色の中で遊んでいるのだろう。
神社の木の名前、全部わかったら明日は違う日になるかもしれない。
『共産党宣言』の乙女は、「あの頃流行っていたのよ」と時代の空気感がいい。文学少女だったに違いない。薦めた『紅蓮の女王』、やはり、あっという間に読んでしまった。
「夫の世話は友情でしている」これにはやられた。
男たちは燃え尽き症候群に襲われて、周りから人が消え、自分たちをジジイと云えない。
ところが彼女たちは平気で自分たちをババアと云って、すいすい生きている。
仕事をやめたら違う生態系で生きた方が楽しかろうに、「男女七歳にして席を同じうせず」がこびり付いて、男同士の集団旅行から踏み出せない。
歯磨きゴシゴシの娘さんはまさしく古墳慕乙女で、「五色塚古墳に行った?」「今城塚古墳は?」と聞かれても、「継体天皇のお墓だよね」としか応えられない。
奈良の古墳なら見当はつくが、「大分県のこの古墳は?」これは亀塚古墳と云うそうだが、もう年季が違う。
帰りのバスの向こうに魚魚魚という看板を見て、「おっとっとっていうお菓子があるよ」
男子は「ととと」と芸がない。旅の総括は以上です。
急に猛暑になって福岡では山笠。八年前、名古屋から男七人で博多に来て、もつ鍋、水炊き、鉄鍋餃子にイカ刺と美味しいものを食べ尽くし、中洲のスナックでカラオケ大会をしていた時に、締め込みおじさん達がやって来て、場が最高潮になりました。
なんて楽しい街なのかと憧れて、川端商店街でぜんざい食べて、昼飲みビールで鶏皮食べて、ごまサバ食べて…
福岡に移住してしまった。
歴史と文化のある街に是非お越しください。