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『法顕の旅・ブッダへの道 ― 1600年前の2万キロの旅』
このたび拙著『法顕の旅・ブッダへの道 ― 1600年前の2万キロの旅』を刊行することができました。
本書は、実はかなり以前に書き終えていた原稿です。2012年7月から2016年8月まで、年4回発行の「季刊邪馬台国」において、全16回にわたり連載した内容をまとめたものになります。連載終了後も長らく単行本化の機会を得られずにいましたが、今回ようやく一冊の本として世に出すことができました。
正直に申し上げると、本書は決して派手なテーマの本ではありません。扱っている内容はかなりマニアックで、地味とも言えるかもしれません。しかし、その分、他に類を見ない非常にユニークな旅の記録であり、古代史・仏教史を考える上で貴重な素材を含んでいると自負しています。
64歳の僧が挑んだ、前人未踏の大旅行
物語の主人公は、中国東晋時代の僧・法顕(ほっけん)です。
時代は西暦399年。日本ではまだ「倭の五王」の時代が始まる直前で、歴史の輪郭すらはっきりしない頃です。
法顕は、当時すでに64歳前後という高齢でした。平均寿命を考えれば、いつ命を落としても不思議ではない年齢です。その彼が、たった一つの目的「正しい仏教の戒律を求めること」のために、中国を出発します。
彼は徒歩で中国を横断し、タクラマカン砂漠やローラン地方を越え、ヒンドゥークシュ山脈を越えてアフガニスタンへ、さらにネパール、インドへと向かいます。最終的にはスリランカ(セイロン島)まで到達し、そこから船で中国へ帰国しました。往復に要した年月は14年。総移動距離はおよそ2万キロに及びます。
あの玄奘三蔵の大旅行よりも、実に300年も早い時代に、これほどの旅が行われていたのです。

仏教とは何かを問い直す旅
日本で伝えられてきた仏教は、すべて中国を経由した「漢訳仏教」です。経典は漢文に翻訳され、日本へと伝わりました。そのため、私たちはインド仏教そのものを直接知る機会をほとんど持っていません。

法顕の旅は、そうした間接的な仏教理解を根底から見直す手がかりを与えてくれます。
彼が歩いたのは、仏陀が生き、教えが生まれ、伝承されてきた現場そのものです。パーリ語やサンスクリットで伝えられていた仏教の原型が、どのような姿をしていたのか。中国仏教、日本仏教とどこが同じで、どこが違うのか。本書では、そうした問題にも自然と向き合うことになります。
古代世界を「歩いて」理解する
本書では、法顕が通過した地名をできる限り具体的に比定し、現代の地図と照合できるようにしています。Googleマップや航空写真を併用すれば、彼がどのような地形を越え、どんな道を歩いたのかを、現代の視点で追体験することができます。
例えば、現在は戦乱に苦しむアフガニスタンも、当時は仏教文化が栄えた豊かな土地でした。緑に囲まれた都市や僧院の姿が、法顕の記録から浮かび上がってきます。インドでは、釈迦牟尼ゆかりの聖地や仏跡を詳細に記録しており、古代仏教ツアーのガイドブックとしても読める内容になっています。

私はできるだけ想像や脚色を排し、史料に基づいた「古代ドキュメント」としてこの本を書きました。
読み方はいくつもあります
この本は、最初から最後まで通して読む必要はありません。
旅の記録だけを追いたい方は、法顕が中国を出発した後の章から読み始めても構いません。中国史に関心のある方は、序盤の歴史的背景の章をじっくり読んでいただければ、5世紀前後の中国世界が立体的に見えてくるはずです。
また、人生の後半に差し掛かった方にとって、64歳で未知の世界へ踏み出した法顕の姿は、大きな励ましになるかもしれません。
年齢に関係なく、人は挑戦できる。その事実を、彼の生涯は雄弁に語っています。
私自身の集大成として
私はこれまで十数冊の歴史書を書いてきましたが、本書はある意味でその集大成です。派手さはありませんが、時間をかけ、楽しみながら書き上げた一冊です。
今後は、写真や地図資料をさらに充実させた改訂版も検討しています。もし関連する写真資料などをお持ちの方がおられましたら、ぜひ情報をお寄せください。多くの方と協力しながら、この本をより豊かなものにしていければと思っています。
古代の旅に思いを馳せながら、法顕とともにブッダへの道を歩いていただければ幸いです。