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日本書紀編纂1300年―いま改めて『日本書紀』を読む
あいさつ
注:新型コロナ影響下の2020年に作られたリモート講義です。
新型コロナの影響で、アクロス福岡での講座が実施できなくなり、今回は録画という形で皆さまにご案内申し上げます。
ご承知のように本年は、『日本書紀』編さん1300年の節目にあたります。『日本書紀』は西暦720年に完成したとされ、ちょうど1300年を迎えた年です。ところが残念ながら、コロナ禍で多くの記念イベントが中止・縮小となり、ご自宅で過ごす時間が増えた方も多いと思います。
そこで今日は、今後の講座の「予行演習」「ガイダンス」として、『日本書紀』がどのように作られ、どこに面白さがあるのかを、約1時間分の内容を想定しつつ、要点をお話ししてみたいと思います。
人前で話すのとは違い、録画は録画で難しいところがありますが、実験的にやってみて、今後に活かしていきます。
日本書紀編纂1300年特別講座――神武天皇の登場(=「神代」の世界へ)
今回の特別講座は全12回+予備1回で、合計13回構成を想定しています。
その入口としてまず確認したいのは、『日本書紀』が単なる「古い本」ではなく、国家のかたち・天皇の位置づけ・外交意識・文明観まで背負って成立した「国家プロジェクト」だという点です。
そして『日本書紀』の最大の特徴は、神代(神々の時代)から歴史が始まることです。ここが、好き嫌いが分かれるポイントでもありますが、逆に言えば、ここを読み解けると『日本書紀』は一気に面白くなります。
日本書紀の成立に至る経緯(西暦720年完成)
『日本書紀』は、西暦720年に完成したとされます。
編纂の中心人物として知られるのが舎人親王(とねりしんのう)です。序文・記録には、舎人親王が天皇の勅を受けて編集を進め、完成後に奏上した、という流れが示されています。
内容は、神代から始まり、第41代・持統天皇の時代までを収める――これが大枠です。
正式には「日本書紀」ですが、当時の呼称・表記の揺れもあり、史料上は「日本紀」と呼ばれることもあります。
成立以前の道――聖徳太子の「天皇記・国記」と、その焼失

成立以前の前史としてよく語られるのが、聖徳太子が「天皇記」「国記」を作ったという話です。ところが、乙巳の変(いっしのへん)の動乱の中で、蘇我氏が自宅に火を放った際に多くの記録が失われたと伝えられます。
ここで重要なのは、「失われた」こと自体よりも、当時すでに“国家の記録を体系的にまとめようとする発想”が存在していたという点です。これが後に『日本書紀』へとつながります。
天武天皇の命令(681年)――なぜ国家史が必要だったのか
大きな転機は、天武天皇が681年に編さんを命じたことです。では、なぜ天武天皇は国家史を必要としたのか。
背景には、遣隋使・遣唐使を通じて日本が学んだ、当時の世界帝国=中国の国家運営があります。都市計画、法制度、仏教受容――それらと並んで決定的だったのが、「歴史を書くこと」そのものが国家の役割であるという中国的文明観です。
要するに、歴史を編むことは「過去の記録」ではなく、国家としての正統性を確立し、対外的に国の格を示す装置でもあった、ということです。
編さんメンバーの多様性――王族・有力豪族・海人族

編さんに関わったとされる人々の名前を追うと、王族だけでなく、各地の有力豪族、そして海人系の勢力まで含まれていることが分かります。ざっくり言えば、
- 中央(王族)
- 地方の大豪族
- さらに中堅層(実務能力のある層)
が、比較的バランスよく組み合わされているように見えます。これは、国家史が「一部の貴族の趣味」ではなく、情報収集を伴う政治的な編さん事業だったことを示します。
資料の追加収集(691年の「氏族の記録」提出命令など)
命令(681年)から完成(720年)まで約40年。途中で、691年に有力氏族へ記録提出を命じたという動きも伝えられます。これは、各氏族が持つ系譜・口伝・家の記録を集め、国家史の素材とする作業だったと考えられます。
さらに後年、委員の補充があったという記録もあり、長期事業として人員を入れ替えながら継続した様子がうかがえます。
完成後の扱い――講書(勉強会)と国家行事
こうして出来上がった『日本書紀』は、完成したら終わりではありません。むしろ完成後、朝廷内部で講書(勉強会)が行われ、国家的な行事として扱われたとされます。つまり『日本書紀』は、「読むための本」以上に、国家の公式見解を共有するためのテキストだった、ということです。
近年の分析①――言語学(アルファ群/ベータ群)
近年の研究で面白いのが、言語学的分析です。
『日本書紀』30巻を文章の性格で分類すると、
- アルファ群:唐代の正統漢文として極めて完成度が高い
- ベータ群:そこに日本語的な言い回しや癖が混じる
といった傾向が見られる、という議論があります。要するに、『日本書紀』の文章は一枚岩ではなく、書き手・素材・編纂段階の違いが文章に刻まれている可能性がある、ということです。

近年の分析②――古天文学(暦:元嘉暦と儀鳳暦)
もう一つ刺激的なのが、暦(こよみ)からの分析です。『日本書紀』の記事には、時代によって異なる暦が使われているように見える箇所がある、という指摘があります。
もし、ある巻では「当時使われていた古い暦」が反映され、別の巻では「編纂当時の新しい暦」で過去に遡って日付を当てはめているなら――
そこから浮かび上がるのは、
- ある時代(例:雄略期あたり)以降は、記録素材が比較的しっかりしている
- それ以前は、後から暦を当てはめた可能性が高く、年代の精度は下がる
という見通しです。つまり、「どこまでが同時代記録に近く、どこからが再構成か」を見分ける手がかりになり得ます。
戦後の歴史観――「日本書紀」をどう読むか
最後に、戦後の歴史観について一言だけ触れておきます。戦後、日本の国家像・天皇観は大きく変化し、近代以前の「天皇の絶対性」や、それを支える歴史叙述は強く警戒されるようになりました。
その結果、『日本書紀』は「史料として危険」「神話だから価値が低い」といった単純な扱いを受ける場面も増えました。
しかし本来は、神話か史実かの二択で切り捨てるのではなく、「国家が何を正統とし、何を守ろうとしたか」「どんな素材が入り、どこで編集が入ったか」を冷静に読み分けることが重要だと思います。
まとめ:『日本書紀』は“古い本”ではなく“国家プロジェクト”である
『日本書紀』は、720年に突然生まれたものではありません。失われた記録、集められた氏族の伝承、長期の編集、文章の層、暦の層――それらが折り重なって出来上がった、巨大な国家事業です。
コロナ禍で直接お会いできない状況ではありますが、こういう時代だからこそ、1300年の節目に改めて『日本書紀』を読み直し、「どこが史実で、どこが構想か」「何が伝承で、何が国家理念か」を、一緒に考えていければと思います。