ちょいワルオヤジの諸国漫遊記 第四回 2025年正月 日本の風景 大和川 一路

「エエっ、巳年生まれなの? 信じられない。五十そこそこにしか見えないわよ!」と

 驚嘆の表情でお上手を云われても、枯れ木を自覚しているから嬉しくはない。

「今年で72歳になるんですよ」と、もう一泡吹かせてやる。

  福岡でも団塊の世代の友人ばかりで、今年はみんなが後期高齢者になる。比較対象で若く見えるだけだろう。多くの人と会うのは歴史講座ぐらいしかないのだが、老人臭で嫌われない様に朝のシャワーで清潔にして出かける。

 「海幸彦山幸彦綿津見神豊玉姫玉依姫 鵜草葺不合命伊波礼毘古命 魏の曹操黄巾の乱 仏教道教三角縁神獣鏡 倭国奴国邪馬台国 海藻屑」

歴史講座ももう4年、継続は力なり。難解な名前も難解でなくなり、音楽の様に耳ざわりが良い。先生がどこにヒネリを入れたのか分かります。今日は三角縁神獣鏡のデザインと誤った解釈は海の藻屑となって消えてゆくだろう。という箇所。

コードを合わせなければオーケストラもバンドも聞くに堪えない音楽になってしまう。史観のコードが合っているから、この前は「レボリューション」、今日は「ゲットバック」だなぁと、講座の中身を勝手に分類して記憶の箱に入れてゆく。

10年以上の古株の生徒さんも沢山いるが、名古屋で5,6年、奈良の古代の探索を済ませているから経験値は同じくらいかも。違うのは、ここ福岡は邪馬台国のあったところ。名古屋の熱田神宮は信長塀と必勝祈願と商売繁盛。草薙剣は後回し。古代より戦国時代の色合いが濃い所なのです。

師走の終わりに、加部島の田島神社にお参りした。大陸との交流の要衝の地であり、数々の伝承が残っている。古代史の良い締めができました。帰り道、 “木花かぐや”さんが、一貴山無量院の枝垂れイチョウを薦めた。何かなと思いながら離合も出来ない田舎道を進み、仁王門から300mほど坂道を登ってゆくと、枝垂れイチョウの大木と黄色の絨毯が拡がっていた。遊ぶ子供も掃除する老人もいない。


南北朝時代に消失し廃寺となっている。「少子化よりも問題は年寄りがいなくなり、神社が維持できない」と、どこかの神主さんが云っていた。黄金の世界を見て『この国に生まれてよかったなぁ』が半分。『団塊の世代の退場』が心配の半分だった。

朝倉の三連水車あたりで正月の野菜と果物を調達しようと考えていたら、「朝倉ゴジラ見てきましたよ」と、大橋のタカシさんからライン。

筑前町 ギネス認定 安の里公園 2月下旬までらしい。

行かねばなるまい。ゴジラは1954年生まれの同世代。モスラやキングギドラと戦った。今年は昭和100年と云われるが昭和のコンテンツは今も強力である。ララポートにはガンダムもいる。雪が舞う寒い朝、筑前町のゴジラを見て、キンカンと富有柿を仕入れて新年の準備は整った。年末ジャンボも買ってある。

そして、次の日から猛烈に熱が出て、10日間寝込んでしまい、お正月はフイになった。

正月に国旗を掲げる家は一軒もなかった。3年前、高宮八幡宮に行った時には三軒あった。国旗・国歌を否定するような教育を受けたが、今思えば戦後の思潮は自虐的過ぎたのではなかろうか。敗戦で振り子が大きく振れて、もう80年も経ったのか。

平成生まれの若い子たちは令和の時代、どんな風景にワクワクしているのだろう。

コンビニのレジに元日の新聞を沢山持ってゆくと、マノジ君はエッ?てな顔でバーコードに翳していた。ここに9回も新聞の値段を間違えた娘さんがいて、その都度優しく教えていたのだが、最近見かけない。彼女やマノジ君はどこの国から来たのだろう? 

留学生のお世話をしている友人に「マノジって名前の子がコンビニにいるのですが…」と話し始めたら、「ネパールの子。100部族もあってね。インドアーリア系とチベットモンゴル系。クマルって名前も多いわ。ヒマラヤのあっちがチベット仏教でこっちがヒンズー教。彫りが深いのと平ぺったいのと云々云々」三分間で全部教えてくれた。

 今朝は五時五十五分。「マノジ君。なますて~。寒いね、新聞買いに来たよ」

ポールに座って、「家族で来日して二年、六時から十二時まで仕事します。週に26時間、九時から九時半まで休憩で、井尻からここまで自転車で来て、専門学校に通っています」

「なますて」という魔法の言葉で彼の来歴を知ることになった。

単なる挨拶言葉じゃなくて、他者に対する敬意や感謝を表す言葉だそうだ。

風景が変わってしまった。コンビニで働く人は外国人ばかり。かって、工場のラインでは日系のブラジル人とペルー人が沢山働いていた。若い子たちはフィリピンパブで遊んでいた。オジサン達かな?

 

居酒屋には中国人が沢山いた時もあった。小料理屋さんのフーちゃんと親しくなって、「自分は吉林省の朝鮮族だ」と自己紹介してくれたが、ある時から云わなくなった。

昭和100年という言い方をするならば、もう72年も昭和の中で生きている。

 見世物小屋で怪奇を見た。長嶋とビートルズに熱狂した。わら半紙とボールペンで徹夜した。カルメンマキは悲しかった。学園闘争で地下に潜った友達がいた。

ノルマが出来ず自爆を繰り返し、辞めた人がいた。出張は日曜日、氷点下の日本から40度の東南アジア。接待するされるの連日連夜、ユンケルで胡麻化して、オシッコが黄色くなって、昭和が終わった。俯瞰すると同世代はこんなところ。

見世物小屋で不条理を感じたが、今は風潮で人権、人権と声高になっているようだ。大谷翔平はいるがビートルズはいない。ビートルズがいなかったらこの世はつまらない。タブレットで教科書を読んで、紙をめくる感触なしに頭に入るのだろうか。

マルクス、革マル・中革・社青同・民青・ブント・黒ヘルを知らないのはしょうがない。

パワハラ上司に怒鳴りまくられても、労働は使命感と善を為すとの感覚もあったような。

振り子が振れ過ぎている。日本の風景が変わってしまった。

そんな昭和の不適切や猥雑は、御免被ると若い人たちは思うかもしれないが、おじさんたちは今、まぼろしになってしまった世界が懐かしい。

時代の出来事に手触り感が残っている。

さて、振れた振り子はどこにいる。昭和の100年で右から左に振れて行き、今は右へ戻って行く途中と思っていたが、ひょっとして真っすぐ垂れ下がった所で止まっているのじゃないのかと。

政治は不誠実で、経済は日本大安売り、社会は無関心が蔓延して、胸がザワザワする。

『21世紀ヴィジョン』はどうなっている。外から力を与えられないと動き出さないのだろうか。今まで外圧を受けて日本は大きく変化してきた。今年はそんなタイミング?

これ、2010年のドバイタワー。今はブルジュ・ハリファ。地面に寝転がらないとテッペンまで写らない。中国の建設会社が造ったそうで、出来ばえ品質は悪かった。文明の爆発ともいうべき代物で、登った時に「もう日本は敵わない」15年前にUAEで日本衰退の兆しを感じていた。

巨大資本が国家の形まで変えてゆく。砂漠の地に高層ビルが立ち並び、スキー場まで造ってしまう。ゴルフ場の木々一本一本に水を供給している。金利の概念がない世界。

インシュアラー‼ 45年前には日本が得体のしれない国家とみられていたのかも。品格ある国家へ脱皮のチャンス。

「何が言いたいの? また観念的な人間になっているわね。日本民族には2000年の智慧が堆積しているの。もう一度、諸国を漫遊して人智に触れて来なさいよ。自分で言ってるじゃない。品格ある国家よ。この糞コロガシの米つきバッタの羊羹頭め!」

そこまで侮辱しなくてもよかろうが、博多の女性はきつい。

「お具合いかがですか?きっと、ゴジラの放射能にやられたんですよ。繁枡の大吟醸を用意してあるから。昼呑みしましょ」タカシさんが病気平癒の宴を用意してくれた。

西の関も旨いけど、繁枡が呑みたかった。銘柄で云う人はいいなぁ。

「2月に布施明のコンサートで天神に行くから、あんた空いとる?空いてない。じゃあ終わったら呑んでカラオケ行って、今年の計画立てようよ。俺、80になるから、燃え燃えで遊ぶから。今年は海外どこ連れて行ってくれるね?」これ、田主丸の先輩。

「大丈夫、間に合います。小倉競馬で3レースやって戻ってきます。中京以来、何十年ぶりですよ。済州島でのんびりしましょうか?」

昭和のコンテンツと好き勝手満載に安らぎます。

宝くじが当たりました。

何千キロの旅をしなくても、半径100メートルに幸せがいっぱい転がっています。

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